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みことばはみがき No.139

   箴言 14:16
   知恵のある者は慎重で、悪を避けるが、
   愚かな者は怒りやすく、自信が強い。

 宣教区の新年聖会が行われました。育児休業中ということもあり、舞台での奉仕は遠慮し、配信準備として機材とプログラムの設定を行ってお渡しするという役割を承ることになりました。
 前日にほぼすべての作業の準備を終えて、これで大丈夫と思って寝ました。当日もスムーズに機材を積み、子どもたちの弁当も用意して家族と一緒に会場に向かいました。
 道中、携帯電話をもってきていないことに気付きましたが、引き返す余裕もなく、必要な連絡は会場でできるだろうと思いそのまま運転していきました。

 会場について、後は配信画面を表示するだけというところで、画面には「ログインをするために、数字を携帯番号に送りますので、この画面に入力してください」の文字が表示されました。
 そして画面ではなく私の顔が真っ青になりました。スマホがなければ配信画面を開けない。そうなると配信できず、会場外の人が見られない。忘れ物の代償はあまりにも大きいものでした。

 自分への怒りを抑えながら、担当委員の先生方や奉仕者の方にすいませんと謝りました。別の方法で配信し、連絡をしてくださり、何とか配信を開始できるようにしてくださりました。


    不完全な自分の十分は不十分
    十分と思うと対策しなくなりほころびが生まれる

みことばはみがき No.138

   詩篇 143:1
   主よ 私の祈りを聞き
   私の願いに耳を傾けてください。
   あなたの真実と義によって 私に答えてください。

 年明けから衝撃的なニュースに心を痛めています。1日には能登半島地震、翌日には支援物資を運ぶ海上保安庁の飛行機と日本航空旅客機の衝突事故。
 一瞬の出来事で多くのいのちが失わられてしまう状況に言葉が出ませんでした。未だ被害の最中にある方の少しでも早い救出と孤立してしまった集落の方々との連携や交通の回復によって、まず「危機」からの脱却がなされることを願い、祈ります。

 真備の洪水の被害を目の当たりにした私たちが、災害支援を行う中で最も気をつけることは、現地に負担をかけないことです。助けたい気持ちが一方通行になって、過度な仕分けや管理に人手と時間が割かれないようにし、全国から集まる運送業者や支援者の車で、肝心の被災地域の交通がマヒしないようにしなければなりません。

 しかし、私たちはどんなに送っても迷惑にならないものがあります。それが祈りです。祈りはすべての土台です。形で届けることはできませんが、主キリストがとりなして、形ある御業によって与えてくださることを信じて祈りましょう。


    物資は命を救い、いのりはいのちを救う
    どちらも関係を絶やさないことが大切

みことばはみがき No.137

   1ペテロ 2:5
   あなたがた自身も生ける石として霊の家に築き上げられ、
   神に喜ばれる霊のいけにえを
   イエス・キリストを通して献げる、聖なる祭司となります。

 朝から夜まで楽しい企画がいっぱいだったクリスマス礼拝とキャンドルサービスの一日が終わりました。礼拝においては、突然の依頼や準備不足もあり、迷惑をかけてしまいました。
 愛餐会やバザー、夕食会はそれぞれの担当者が良く準備をして、多くの交わりの機会となりました。本当に感謝な一日です。

 クリスマスも過ぎたある晩、幼稚園も年末年始の休みとなり、一日中子どもたちが家にいる日が続いているため、夜になる頃には子どもたち以上に疲れていました。
すると、お風呂上りの娘が末の弟の手を握りながら、「きよしこの夜星はひかり~♪」とやさしく歌っていたのです。

 聖夜ではありませんでしたが、とても大きなプレゼントをもらったような感動が湧き起こりました。そこには娘が成長したことへの喜び、弟を思いやる姿、子守歌として賛美を歌い、平安へ導く信仰があったからです。
 弟のために歌を歌ってあげなさいとか、ここでは賛美をするんだとか、指導したことは一度もありませんが、娘の中に神さまとの関係があり、信仰が垣間見えたひと時でした。


    キリストがそこに生きているかどうかは
    内から出されるもので証しされる

みことばはみがき No.136

   ローマ 14:16
   なぜなら、神の国は食べたり飲んだりすることではなく、
   聖霊による義と平和と喜びだからです。

 娘の誕生日が近づき、娘自身も「もうすぐ私の誕生日なんだよね~♪」と楽しそうに言っています。
 クリスマス時期に誕生日ということもあり、毎年誕生日プレゼントとクリスマスプレゼントをどうしようかと考えたり、誕生日ケーキが予約限定のクリスマスケーキになってしまうのはこの時期特有のため、購入できるように1か月前から確認し、準備してきました。

 どこまで秘密にしておくかはなかなか難しい問題ですが、何も知らないで喜ぶより、少しずつ情報を小出しにすることで期待できるのも確かなことです。
 誕生日の二日前。妻から「あれは買った?」と言われ、「はて、なんだろう?」と忘れていた、数カ月前に買ってあげると言っていたプレゼントを思い出し、当日に買いに行き、何とか間に合わせることができました。

 娘の喜ぶ顔を見ながら準備できてよかったとホッとしながらも、こうして親になり、家族みんなで誕生日をお祝いできることこそ、ケーキや贈り物に勝る、神さまから与えられたプレゼントだと感じました。


    贈り物は本来かたちにできない愛の表れだが
    愛がなければ贈り物の価値で評価されてしまう

みことばはみがき No.135

   1コリント 15:58
   ですから、私の愛する兄弟たち。
   堅く立って、動かされることなく、
   いつも主のわざに励みなさい。
   あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって
   無駄でないことを知っているのですから。

 末っ子も成長し、表情が豊かになってきました。寝て起きて泣いて寝て起きて泣いてミルクを飲んでまた泣いてオムツを変えて…という一日のお世話から、声掛けをしたり触ってなでたり、くすぐったりしていると、声を出して笑うようになりました。

 子どもと過ごす時間は尊いですが、あまりにも泣き叫んでいたり、こちらが疲れ果てていると子どもの笑顔を見る余裕が無くなります。泣いている子を抱いている時に心の中にある思いは「早く泣き止んで」「早く寝て」という親の都合によるものです。
 泣いている姿がかわいいなぁとか、何か大変だったのかなぁという寄り添う言葉は頭ではそうした方がいいのは分かっていても、感情を抑えて口にするのは難しいものです。
だからこそ、子どもが笑顔でいる時間が増えれば増えるほど、力になります。安心して家事や仕事をすることができます。育児に負荷が大きくなったとしても心に力がみなぎっていきます。

 私たちが自由にしてよいとされたがゆえに、罪に陥り、立ち返らず、父なる神に笑顔を見せることなく、自分のやりたいように過ごしていたら、主はさぞ寂しかったことでしょう。


    大変なことがすべて嫌なわけではなく
    そこに力を与えてくれる存在がいる

みことばはみがき No.134

   ヤコブ 1:20
   人の怒りは神の義を実現しないのです。

 娘の発表会があり、家族全員で見に行きました。普段より早く起きて準備していかないといけないこともあり、朝は急がなければならず、多少ピリピリムードが漂っていました。
 ただ、今日の主役は娘。これまで一生懸命練習してきた発表会の内容を本番当日に怒られたり、怪我したりして機嫌を損ねてやりたくないと駄々をこねてしまうのはあまりにももったいない。そう自分の怒りを抑えながら、進まない娘の登園準備を促していました。
 
 同じ施設の預かり保育に通う息子と一緒に舞台に近い席に座り、娘の出番を待ちます。隣の子とおしゃべりに夢中になって周りの話を聞いていない娘の様子を見ながら、小さい時の自分と変わらないなと思っていました。
 いよいよ出番。元気に大きな声で台詞を言い、歌も上手に歌いました。時間は短いプログラムの中で、娘の生き生きと園で過ごしている姿が垣間見られたことが親としての収穫でした。

 神も同じように、自分の怒りを罪ある人に向けるのに遅くし、その人が生き生きと主に生かされる姿を見たいと願っていたことでしょう。怒る人や泣いている人より、自分らしく、神の子らしく生きられた方が、みんなが笑顔でいられるのですから。


    怒りは突然波のように押し寄せるが
    ふさわしい防波堤があれば生活は守られる

みことばはみがき No.133

   1コリント 6:12
   「すべてのことが私には許されている」と言いますが、
    すべてが益になるわけではありません。

 息子と娘を幼稚園に預けている間に、下の子を連れて妻と買い物に行きました。普段、夫婦で一緒に買い物に行くタイミングは少なく、久しぶりの時間となりました。

 新しくオープンしたショッピングセンターへ向かい、家にあるものの中で交換が必要なものやほしかったけれどもなかなか決断できず買えなかったものも買うことができました。
 寒い時期向きの植物も買い車に戻って地図を見ると、なかなか行くことができなかった韓国食材問屋が近くにあることがわかり、そのまま向かいました。
 久しぶりに韓国食材を選び放題の状態の妻はとてもわくわくした様子で店内に入って行きました。店の前に置かれた商品を手に抱えながら…。精算時には二人の両腕で持つほどになりました。

 大満足で家に帰って来た時には何度も車と部屋を往復しなければならないほどたくさんの荷物を抱えることになっていました。
 荷物をおろして一息ついたとき、ふと周りを見てみると、2日前にクリーンセンターへリサイクルゴミを沢山運びに行ったにも関わらず、ほぼ同じ量の買い物をしている自分に気付き、小さなため息をつきました。


    物を減らすのに苦労するが、増えるのは一瞬
    罪を避けるのに苦労するが、陥るのは一瞬

みことばはみがき No.132

   1コリント 9:19
   私はだれに対しても自由ですが、
   より多くの人を獲得するために、
   すべての人の奴隷になりました。
 
 家で三番目の子どもを看ながら礼拝の準備をすることが多くなってきました。朝は6時時半頃にミルクをあげ、7時過ぎには上の二人の子どもたちが起きて朝ごはんを食べます。うちにお弁当や連絡帳記入などの登園準備を済ませ、着替えとトイレに行かせると、あっという間に8時15分になります。
 そして幼児園まで往復し、9時半過ぎに帰って来ると、いよいよ仕事に手を付けようとなります。妻の調子が良ければそのまま仕事をし、妻に用事があれば三番目の子を片隅に置いて、時々コンビラックを揺らしてあやしつつ、パソコンの作業を始めます。

 夜には3人の子どもたちが寝静まってから再びパソコンの電源を入れます。4時間半ごとのミルクのタイミングの中で、約3時間作業し、ミルクをあげて、私も三番目の子と一緒に寝ます。

 限られた時間の中で子どもたちと過ごすのは楽しく幸せである一方いのちの目的である、神との関係を深め、福音を宣べ伝えるためには工夫が必要です。日常生活をどのように過ごしながらこの時間を作るかを考えないと、主に仕える時間が生れないという厳しい現実に毎日奮闘しています。子をあやしながら仕える。これがより多くの人を獲得するための私が今できることなのです。


    神のために工夫して仕えようとするときこそ
    神との関係が一番深まるタイミング

みことばはみがき No.131

   ルカ 6:42
   しかし、必要なことは一つだけです。
   マリアはその良いほうを選びました。
   それが彼女から取り上げられることはありません。

 家族内でインフルエンザが回って苦労した1週間が過ぎました。礼拝では牧師不在で司会者が立ち、長老に牧会祈祷をお願いし、説教も急遽以前オープン礼拝で行ったメッセージの録画映像を流すことになってしまいました。

 娘が午後に急に熱を出したことから始まった家庭内のインフルエンザは娘、私、息子、妻のところに回り、妻が何とか守られたことで、水曜でその影響を終えることとなりました。
 ジョイフルホリデーも私は出席できず、日曜日に行う予定となっていた成人科も一週間延期となりました。

 多くのことで迷惑をかけてしまいました。それでも悪いことだけではありませんでした。私が出勤停止となったことで、家族全員で、別室で礼拝に出席することができたのです。
 
 家族5人が同じ空間で一緒に賛美をし、お祈りができる恵みは私たちにとって初めてで、娘が賛美している姿や息子が静かに祈りのことばを聞いている様子を見ながら、主に感謝しました。
 苦しみと困難の中にあってもなお、そこに恵みを示してくださる神がおられた礼拝となりました。


    牧師が講壇を降りて礼拝することで
    見えてくる信徒の恵みがある

みことばはみがき No.130

   マルコ 10:13
   イエスはそれを見て、憤って弟子たちに言われた。
   「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。
    邪魔してはいけません。
    神の国はこのような者たちのものなのです。」
 
 韓国から来ていた義両親が帰り、本格的に5人家族の生活がスタートしました。想像していた以上に子どもを気に掛けると時間がどんどん過ぎてしまうことに驚いています。

 しかし、私以上に負担になっていた人が家族にいました。日曜日の午後、来年度の方針や活動を検討するため、執事会が2時間半を越える中で、娘はその間静かに、ラウンジで絵を描いたりゲームをしたりしながら過ごしていました。
 2階では息子たちがお昼寝をしているため、遊び場がない状況で、家族にも教会にも気を遣わせてしまっている状況に申し訳なさを感じていました。

 夕方、息子たちのお風呂や食事で慌ただしくなる中、テレビを見ていた娘に向かって手を広げ「こっち来るかい?いいんだよ」と声をかけました。
 するとすぐにテレビを見るのを止めて、私のひざ元に来て座りました。抱っこしてもらって満足している顔で私を見ているその表情に、あぁやっぱり甘えたかったんだなと思い、「一緒に遊んであげられなくてごめんね」と娘に謝りました。


    子どもだって気は遣う
    それが親の喜ぶことだと思うから