みことばはみがき No.149

   イザヤ 53:5
   しかし、彼は私たちの背きのために刺され、
   私たちの咎のために砕かれたのだ。
   彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、
   その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。

 受難週祈祷会を礼拝後に行いました。名前だけ聞くと、とても難しそうで、祈っているのに苦しむのではないかと感じてしまうような活動です。
 これまでも何度か行ってきましたが、その時の感想の中で、
「わかりやすい祈祷会だといいのですが」という声も上がったことを毎回思い出しながら準備をしています。

 確かに受難と祈祷という組み合わせは最も苦しそうですが、よくよく考えてみると、人の罪のために十字架の死という受難に遭われたのはイエス・キリストたったお一人でした。
 だからこそ、私たちはキリストが贖ってくださることになった罪を自覚することと、その十字架を通して私たちとどのような関係をキリストは望んでおられたのかに目を向けました。

 すると、悪者であった私たちが悪者で終わらず、神にとっては良い者として生きる「その先」があり、むしろ良い者として生かされていく歩みこそ、私たちの生きる道だったのです。
 私はキリストと同じ苦しみはできません。しかしその苦しみを、感謝をもって喜んで受け入れたいと思います。


    受難は主のみが受けた苦しみ
    私たちは主を苦しめた加害者