みことばはみがき No.54

   ルカ 23:34
   そのとき、イエスはこう言われた。
   「父よ、彼らをお赦しください。
    彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」
  
 牧師たちと交わることの多い一週間となりました。会議の合間や終わり、移動をともにしているとき、これまでの歩みを分かち合うことができました。
 その会話の中で、先輩牧師がこれまで経験した牧会での苦労話や会議などでの振る舞い方や考え方、教師間でのマナーや関係の育み方など、教会の中やオンラインだけでは学べない話を聞くことができました。

 しかし、それ以上に心を揺さぶったものは、それぞれの牧師たちが経験してきた痛みです。神のために生涯をささげて仕えようと決心した先輩たちが悩み、時には傷つき、教会を守るために自らを犠牲にしてまでも平和を保とうとする姿に、聞いている私の心も握りつぶされそうな思いでした。

 牧師や宣教師たちの働きを評価しようとするならば、信仰をどれほどの人に福音を伝えてきたかに焦点が当てられがちですが、どれほど忍耐をもって信仰や教会を守ってきたかにはなかなか焦点を当てられることは少ないでしょう。
 傷つけられながらも争うのではなく、イエスを見上げて耐え忍ぶ姿の後ろに、それぞれの十字架が掲げられているようでした。


    福音を伝えるのも宣教であり、
    福音を守るのも宣教である。