みことばはみがき No.20

   1コリント 3:11
   だれも、すでに据えられている土台以外の物を
   据えることはできないからです。
   その土台とはイエス・キリストです。

 東京オリンピックが閉幕しました。開催について様々な意見が出ていたのを思い出します。ある人は感染症の観点から開催を反対し、ある人はアスリートの観点から開催を応援していました。さらには経済的な観点や政治的な観点から評価をする人がいました。

 同じイベントでありながら、切り口によってこれほど評価が割れ、対立が生じてしまうのはとても残念です。どの意見を見てもそれぞれの「正しさ」は持っており、どれほどそれを重要に考えているかの違いだと感じました。
 平和の祭典の平和という言葉も様々な切り口で語られています。しかし、どの切り口であっても、人命にかかわる戦争をしながら、この競技大会を行うことはありません。すべてに共通する平和の土台はしっかりと共有した上で、さらに上のレベルの平和の見解をそれぞれが解釈しているのが現実です。

 信仰者としての姿も、土台となる部分がしっかりと共有できているからこそ、一致してビジョンに向かって仕えていくことができるでしょう。理想は基礎の延長戦上にあり、基礎が取り除いて行われる応用はありません。


    理想を歩むことに価値があるのではなく、
    理想を歩むための土台に価値がある