光テラス No.72

9月1日
 御言葉を読んでいる時、私には悔い改めることがあることに気付かされました。思い出された場面は奨学金を借りていた神学生時代のある時期のことです。私は裕福な生活などできるわけもなく、節約をしつつも、奨学金で学費と生活費をまかなっていました。多額のお金を借りていたこともあり、献金をするにも、借りたお金から出すのなら自分が破綻してしまうのではないかという言い訳をしながら、献金をしていない時期がありました。ほかにも理由を挙げればいくつも思い浮かびますし、その時期が長かったわけではありません。しかし今、聖書を読んでいたとき、御言葉から問いかけられました。

「あなたはそのお金を主に仕えるために借りたのではないのか」

 私は自分の思いを主が責められたことに気付きました。私は主に仕えるために借り、献金できずにいたお金を、ストレスの発散や自分のケアという名の欲望にはささげていたことが思い当たりました。これらのことにお金を使う時、神を見ている自分がいなかったのです。
 教会で働いている現在でさえも、主に仕えるために備えるのではなく、ただ欲に負けて使ってしまう自分がいることに失望しました。献身をしたのに、何も変わっていない。主のために生きると決心したのに、それができていない自分が情けない、と恥ずかしくなりました。
 だから今、改めて私はこの罪を告白し、祈ります。主よ、私の罪を赦してください。あなたに向けるべきものを私へと向け、自分のものとしてしまっている私を赦してください。

    その人たちの最後は滅びです。
    彼らは欲望を神とし、恥ずべきものを栄光として、
    地上のことだけを考える者たちです。
                     ピリピ3:19