光テラス No.67

7月28日
 近隣の教会に韓国からの宣教チームが来たため、妻の期待もあり、一部の行事へ参加してきました。教会での交わりといっても外国の地方で、同じ国の方と母国語で会話ができることは簡単なことではありません。いろいろな話ができることを楽しみにしていたようです。
 料理を準備してくださり、食事をともにした後、ゴスペルやメッセージ、ゲームなどを行って過ごす中で、何気なく会話ができることや片付けの時間に部長の先生と宣教のことについて深い話を聞くことを通して、私も妻もとても励まされました。
 思えば私が4年前に韓国の地方へ宣教師として1年間派遣されたとき、前任者である先輩が「何もできなくても、いるだけでも十分」と言っていたこと、そして実際にその地で信徒の方に「先生とこうやって日本語で信仰の話ができることがうれしい」と言われたこととよく似た光景でした。
 このことばを思い出したとき、存在の素晴らしさは関係が育まれることで初めて気づくのだと感じました。どのような方がどのような活動をしたから素晴らしいのではなく、「ここに」「私に」会いに来てくれたことに感動します。そして関係をもってくれたことに感謝します。そこには自分にふさわしい資格や努力の実績があるわけではありません。だからこそ大きな愛と恵みを感じるのだと思いました。

    「ザアカイ、急いで降りて来なさい。
     わたしは今日、あなたの家に泊まることにしているから。」
    ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。
                        ルカ19:5~6