光テラス No.30

11月4日
 教会主催で子育ての集いが開かれました。講師の先生の話を聞きながら、これから子どもが与えられることを期待する人、子育てを終えた方、孫育ての真っ最中の方など、多くの方が集まって話を聞きながら、感想や自分の経験を分かち合う時間となりました。そのお話の中で、2つのことが主に私の心に響きました。

① 母親は子どものキャッチャー
 子どもにどんな球を投げさせるのかを上手に伝える役割を持ちながら、そのすべてを受け止める役割。時には暴投(失敗・荒れ)もあるけれど、それを取りに行くのはキャッチャー。そしてピッチャーは暴投しても、キャッチャーは必ずピッチャーに球を返し、励まします。

② 待つ期間を持つ
 お願いされたことをその場で断るのではなく、猶予を設けて可能性を探る。3~4日先でも1年先でも、約束が守られるなら、期待をしながら待つことでしょう。もしそれが一時の欲求なら、待っている期間に熱が冷め、必要でないことに自ら気づくこともあるようです。

 この話を聞いて私は、私の祖母との経験の中で、母親に、「明日行くよ」より「来月行くよ」の方が祖母にとっては幸せだといわれたとき、待つことは苦しみに耐えるだけでなく、楽しみに期待している時間であるということを教えられたことが浮かんできました。
 地上で神様と歩む道のりは天国に行くまでの待ち時間だとしたら、これ以上ない楽しみの時間なのかもしれないですね。

まことに あなたの大庭にいる一日は
(この世の)千日にまさります。
               詩篇84:10