光テラス No.11

6月17日
 教団のイベントの講師に、私が通っていた教会で牧会をされ、先日卒業した神学校で女子寮主事として働かれていた先生が起こし下さり話を聞くことができました。
 そこで先生は、牧師夫人として一生懸命やってはきたが、自分が置き去りになってしまっていたということでした。すべてが旦那の決定に従う信仰で、召天後に自分が責任を持つようになると、どうしてよいのかわからなくなってしまった。そして寮主事のときに祈れなくなり、むしろ寮生に祈ってもらって、『先生の部屋の灯かりが点いているだけで安心する』という言葉に励まされた、と語っていました。
 私も韓国へ宣教に行くときに先輩牧師から「いるだけでいいんだよ」とかけられた言葉が、3ヶ月ほどしてその意味を深く味わうことになりました。努力しても前に進まない、進む気力が出ない、自分が空っぽになってしまう。そのようなどうすることもできない状況の中で、かすかな声で「神様、もう準備ができません、力を出せません、なんとかしてください」と祈り、ただ講壇に立ちました。そこで自分の口から語られた言葉を同時に自分の耳で聞き励まされたのです。
誰かを励ますことが働きなのに、何もできずに苦しんでいた私をも神様は用いてくださり、こんな私をも励ましてくれました。その神様の懐の深さと温かさの中で、自分の力だけで輝こうとしていたことに気づかされました。神様になら甘えたっていいんですよね。

 あなたのみことばは私の足のともしび 私の道の光です。
詩篇119:105