ヨブ記 9:2-3
そのとおりであることを、私は確かに知っている。
しかし、人はどのようにして、神の前に正しくあり得るのか。
たとえ、神と言い争いたいと思っても、
千に一つも答えられないだろう。
新型コロナの変異株が急速に広がっています。たった一週間で平均感染者数が10倍となり、予定されていた愛餐会も中止となりました。これからという希望を持っていた中で、またかという思いになってしまうのは私だけではないかもしれません。
その一方で、できることは継続しようという教会の姿勢も話し合いの中で出されました。礼拝も集会も開催か中止かではなく、どのように維持・継続できるのかを考える段階に来ていることが伺えました。
一番問題のない状況、一番厳しい状況、その間にいくつかの段階を想定して、それぞれの場合の対応を考えていく中で、答えが必ずしもYESかNOだけではないことに気が付きました。参加者の状況は人それぞれ、時期や職場が違えばその状況も全く違います。それぞれの違いすべてに対応することはできません。
そこで求められているのは、私たちが基準にしている軸とそこから出される答えです。教会はいつでも神の愛を軸に進退の歩幅を決めて歩みたいものです。
神への信仰はYESかNO
人への配慮はグラデーション