みことばはみがき No.114

   ローマ 10:17 
   ですから、信仰は聞くことから始まります。
   聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。

 交換講壇に行ってきました。教会に招かれることは個人的にとてもうれしいことで、とても新鮮な気持ちになります。牧師もそうですが、礼拝に集う信徒にとっても、いつもと違う説教の形や展開に、新しい刺激を受けたことでしょう。

 礼拝後、青年から声が掛かり、「先生、あの話、僕もそう思ってたんです。」と反応してもらいました。私は「なるほど、そういう悩みや状況があるんだ」と知れました。聞き手が変わったから与えられたものだと感じています。

 一方、家庭集会で説教の感想を分かち合った際に、「私はあの先生の経験談にとても共感して、身近に感じました。」と語ってくださる方がいました。あぁ私だけでなく、あちらの先生にとってもとてもよい刺激と機会になったのではないかと思いました。
 
 礼拝の後、訪問先の教会の活動の様子を聞いた際に、新しいチャレンジをすることを知りました。その活動が用いられてほしいと願うのと同時に宣教への情熱の火が私の心にも灯されました。
桜が丘での礼拝後の交わりも、ほぼすべての方が加わり、豊かな時間だったと報告を受け、喜びと感謝を主にお伝えしました。


    説教は神のことばへの解き明かし
    神のことばへの正直な応答が心を動かす