ことばの栞 20230924

「心を一つにするために」
 パウロはキリスト者の信仰生活は弱さを担う共同生活だと語ります。人は強さよりも圧倒的に弱さを多く持っており、力のない人たちの弱さを担うことが力のある人たちの役割だと述べています。

 互いの弱さを担うことは相手の弱さを受け入れ、その弱さが信仰のつまずきとならないように配慮することで霊的成長へとつながります。
 つまずきが取り除かれたとき、そこには「あぁ~よかった」という喜びと平安が広がっていきます。イエス・キリストは人間の弱さを担うためにこの地上に来られ、人々に仕えました。そして救われた人たちが神を賛美し歩む者へと変えられていきました。

 弱さを担うことはキリストに倣うことであり、その実りは神への信仰、神への賛美です。ともに弱さを担うことができる時、弱さを避けてきた人々も自分の弱さを受け入れ、弱さを強めてくださる神との関係はさらに深められていきます。
 教会は弱さを愛と信仰のうちに受け入れる場です。互いに担い合う働きを通して、かたちのならない「心」を一つにし、「声」というかたちにして合わせて神をほめたたえる場です。自分の信仰が満たされるためだけに訪れる場ではないのです。

 ユダヤ人たちに比べて異邦人たちは弱い立場と考えられてきましたが、キリストは救いをどちらにも示し、届ける働きを全うしました。その結果異邦人たちも神の憐れみを受け、神をともにあがめて、希望を置いてよいと確信し、「あぁ~よかった」と喜びが広がっていきました。ですから私たちも、弱さの上に立つのではなく、謙って弱さを持つ人々が向き合えるに受け入れ、ともに担う関わりをしましょう。