ことばの栞 20230402

「神より恐れていたもの」
 キリストは「ピラトによって苦しみを受け」と使徒信条にありますが、ルカの福音書を読むと、ピラトは決してキリストに苦しみを与えようとはしていないことが記されています。もしピラトがキリストを釈放しきっていれば、救い主を救った救世主となっていたでしょう。

 しかし、実際はそうはなりませんでした。ピラトはイエスに罪がないことを理解していました。祭司長たちが訴えるような事実を見いださせなかったことで釈放すべきだと考えました。ヘロデのもとに送って確認をとっても、罪は見いだせませんでした。

 そこで民を説得しようと試みましたが、「釈放する」と言いながらも群衆の声に押し負け、最終的に自らの判断を覆すことになりました。
ピラトは単に自らの判断を通すことができなかったのではありません。彼は立場と働きに関しての責任と信念を持つことができず、裁定を下す立場にあるにもかかわらず、民に伺いを立てていることで、お墨付きを得ようとしたのです。

 私たちも自分で主の前に判断できることを放棄して他者の判断を仰ぎ、お墨付きを得ようとしてしまいます。しかしそこには神に対してよりも他者に対する恐れがあることを覚えておかなければなりません。

 自らの判断を覆しただけだと感じていたこの出来事は、イエスが無罪であるという神の真実をも覆す結果となりました。ここにイエスの苦しみがあるのです。しかし、イエスは罪なき者を罪と定めたピラトにさえも、神との和解を願いながら十字架にかけられたのです。

 神が示してくださった真実を、他者の前で否定したり避けるのではなく、証人としてその真実を明らかにする者となりましょう。