ことばの栞 202230430

「罪を罪とする戒め」 
 学校には必ず校則がありますが、校則があるがゆえに少しだけ破ることがおしゃれに見えたり、大人に見えることがあります。髪を染めたり、お酒に手を出したくなる気持ちが生まれるのは規則があるからともいえるかもしれません。
 しかし、規則やルールを守る・破るということだけに目が行くと、本来の目的を見失ってしまいます。学校では生徒の対外評価や身の安全の確保のために、聖書の中においては律法が、神との関係を大切に育むために用いられてきました。

 律法はその世界に生きている間だけに適用されるものです。校則は学校生活で、法律はその国で生活で、結婚の律法は夫婦として生活する中で適用されます。すなわち、これらの律法や戒めは、ともに生きる者たちの関係を育み、守るために与えられたものなのです。
 律法によって、何が善悪であるかを知ることができ、それに従って正しい歩みを心がければ大切な実を結ぶことになります。旧約の時代は律法こそがその指標でした。しかし、その本質であるキリストが来られたことで、律法の実の役割は終わり、キリストを愛し、従うことで実を結ぶ歩みへと変えられました。

 悪しき者は神と人の関係を壊すために律法を不義の道具として用いて人間を誘惑しました。律法のみに目を奪われ、神との関係を忘れさえ、罪人同士が裁き合うように誘ったのです。

 私たちは罪を罪だと教える戒めを知ることの大切さを理解するとともに、その目的が神との関係を育む義の道具として用いなければなりません。裁き合い、憎しみ合うための道具にしてはならないのです。