光テラス No.68

8月4日
 最近の暑さなのかぐったりした日が多くなってきました。それの影響なのか、自分の気持ちもなんだか重たくなってしまうことも増えてきてしまいました。時間が経っても思うように進まない仕事を見て、自分に嫌になってしまうこともありました。
 そんな時、気分転換にカフェに行って作業することもあります。ある日、カフェで作業を終えて、聖書を開きました。普段は読まない箇所を開いてゆっくりと読んでいくと、いかに自分が信仰よりも思考(認識)にばかり囚われていたか、と感じることになりました。
 主人は意図を持って雇い人を動かすが、雇われた人は主人の思いをすべて知ることはできないし、教えてもらえないことがあります。そんなとき、雇われた人に求められるのは理解ではなく、従順です。指示された内容や意図が理解できなければ動けないのではなく、理解できなくても従うことを求められていることは「わかる」なら、主人のことばを信じて動くことが正しい応答だと気づきました。
 私は、なぜ自分が動けないのか、その原因を理解しようとし、その原因を解決できるなら、動けるようになると思っている自分がいました。気づくと、与えられた役割ではなく、自分の動けない原因探しに目を奪われていました。
 わからないなら、わからないなりに、言われた通りに前に進めばいいんです。私にはキリストという最も信頼できる主人が導いてくださっているのですから。

    あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。
    ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。
                       1コリ6:20