ことばの栞 20230219

「律法と罪の意識」
定められたルールを守ることが難しい時、私たちはなぜこのルールがあるのか、守らせるつもりはないのかと不満を持つことがあります。その時、ルールを設けた目的に注目してみましょう。

 パウロはローマのユダヤ人たちに向けて、神のことばが委ねられたことを優れていると語る一方で、自らの不完全さを正当化することはできないと示します。あらゆる言い訳や疑問を想定し、不完全な人間が完全な神の計画と働きを台無しにすることはなく、人間の罪や悪の働きによって神の義に貢献することもないとはっきりと語りました。

 律法を守ることのできない人間の不完全さゆえに、自らの罪から目を背けることはできません。自分を正しいと語る者は特定の範囲だけに目を向け、全体の不完全さが見えていないことに気付かず、悟っていると語る者はすべての知識を得て求めることのない者となり、愛や憐れみの寄り添いから目を背けていることに気付いていません。

 平和の道を作ろうとする者は、十字架の働きを否定していることに気付いていません。キリストを語っているにもかかわらず、キリストが見えず、神への恐れが失われていることに気付いていません。

 では、不完全さを正当化することも罪から目を背けることもできない者たちは、ただ失望するだけでしょうか。そうではありません。律法は私たちに律法ではない形の正しさが必要であることを提案します。その必要な存在を知ることこそ、律法が設けられた目的なのです。

 あなたが神の教えに背いた時、神はあなたにどうすることを求めているでしょうか。そこに教えを守れないと悲観したり、開き直ったりすることを望まれているのでしょうか。