ことばの栞 20230205

「忍耐と寛容の食卓」
 神との関係において一番大切なことは罪を犯さないことでしょうか。この質問に〇か×か答えるなら、皆さんはどちらを選びますか。

 もし罪を犯さないことが大切と考えるなら、日常から罪を犯さないようにルールを作り、指摘することが大切になってきます。当時のユダヤ人たちは律法を犯さないために自分たちで新たなルールを設定し、そのルールに違反していないか厳しくチェックしていました。

 このような状況になってくると、パウロの時代には、人間が人間を見張り、自らが設定した正義によって裁くようになっていました。しかし、指摘していた人自身も、そのルールを犯している現実がありました。多くの人は理不尽な思いを抱いていました。
 
 視点を変えて見てみると、神が裁かずにおられることに気付きます。神は、過ちを犯してしまった人が悔い改めることを望み、過ちを犯した人の周囲の人も、その出来事によって自らを省みることに期待し、忍耐をもって彼らに寄り添い、神に立ち返るためにともに歩むことを願っておられます。

 人は神が裁かずに待っておられるにもかかわらず、他人の過ちを忍耐できずに自らの正義によって裁き、自らを省みずこともできず、悔い改めに導けない弱さがあることを自覚しなければなりません。
神が招かれた聖餐の食卓は神の忍耐と寛容の食卓です。神がキリストを裁き、流された血と裂かれた肉のしるしを食し、罪人であることを思い起こし、悔い改める場を与えられた恵みの食卓です。

 私たちは裁く者ではなく、裁かれる者であり、裁きを免れた、救いに与る者なのです。